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政夫は後列右から3番目


当時の久保家
明治36年 佐伯郡砂谷村(現湯来町)に生まれる。
大正12年 祖父久保政夫が県立第一中学校を中退し作家を目指して上京。
仏国大使館アテネ・フランセ入学。
第一外国語学校ドイツ語科入学、上野音楽学校入学、生涯の柱となる「哲学」「芸術」「語学」を学ぶ。
当時の小説に物足りなさを感じ、「生産の場から社会へと繋がっていくような小説」の創作意欲が沸く。
幾つか秀作をものにするが、27歳の時腎臓を患う。




当時の八丈島


世界記録103石の牛乳を出した牝。
背後は火山岩を積み上げた石垣

昭和5年 本州と比べ乳価が10分の1以下の「八丈島」を友人に薦められた。療養生活のため、また自ら生産者となるため島へ渡る。素封家に厄介になりながら、農業をしながら自立の道を探る。
島では暴風に耐える埋没農業が主流。東京から鮮度の落ちた野菜を購入していた。ヨーロッパや日本本土から取り寄せた本で「リーヴィッヒの最小律」など農業の基礎を学んだ。島の風土にあわせて、防風林の替わりに火山岩を外壁として積み上げ、高さ約3mの暴風壁を作った。10年かけて集約型大農園を完成させた。




創業当時の牛舎


座談会の様子

開墾の同志
末の妹が当時不治の病である「結核」で死んだと知らせを受ける。 「牛乳を飲ませてやったら妹は生き延びることができたのに」と男泣き。妹への思いを胸に葬儀のため実家へ帰省。
20年ぶりの郷里を目の当たりにし、昔と変わらない貧困生活に落胆。
昭和16年 故郷を豊かにしようと八丈島から23頭の牛を連れて帰り、開拓を始める。棚田ばかりの砂谷
村へ少しづつ酪農が広がる。
昭和19年 砂谷村と戸山村の酪農家で砂谷酪農組合を創設。




創業当時の牛舎


座談会の様子

開墾の同志

昭和25年 砂谷村、戸山村、玖島の3カ村で砂谷酪農業協同組合を設立。
12月大手町に組合直営の牛乳工場を作り、農村出身の苦学生の保護育成に努める。
新鮮な牛乳を新鮮な内に処理するため、昭和38年久保牧場の中に牛乳工場をつくり、砂谷酪農有限会社を設立。
平成5年 砂谷株式会社に組織変更。
平成8年 新工場を建設。

新工場




なぜ瓶の下部に格言を?

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ…ビスマルク」歴史は多くの人による意思決定の結果が反映されており、「生き方」「町や国づくり」「企業経営」の手本になる。
当時歴史を学ぶには本が手っ取り早かった。
体の健康は「牛乳」から、心の健康は「本」からという思いから、本を読むきっかけとして瓶の
下部に「格言」を記した。
貧困の原因である、栄養不足と教育を強化して、人間の能力が発揮され、豊かな地域、国づくりに寄与したいという思いがあった。




創業牧場「久保アグリファーム」

・15ヘクタールの敷地 ・自家牧草90% ・搾乳牛約40頭 ・育成牛約40頭 ・合計約80頭
※写真提供 (株)久保アグリファーム


牛舎


牧草の刈取り

自家サイレージ

放牧場


砂谷グループ酪農家
JA広島市砂谷酪農部会4軒を含む合計7軒


古塚牧場共同利用草地
グループで管理する6ヘクタールの牧草地。
会員相互が協力し合う。



地域とのかかわり

牛の足の丸焼き

牛乳フェスティバル主催 生産者
「市農協砂谷酪農部会」
事務局 製造者
「砂谷株式会社」
販売者「牛乳販売店」
企業「市農協砂谷支店」
   「地元の企業」
学校「湯来南高校」
行政「佐伯区役所」
   「広島市農林水産振興センター」
毎年2,000人以上のお客様に来場戴きます。

トラクター列車

湯来南高校家庭科クラブ

・地元のイベント出店

佐伯区役所 父の日に乳を贈ろう

ふるさとまつり  区民まつり



新たな試み その1
・平成21年砂谷株式会社に隣接してテナントカフェ「Prati」を オープン。



砂谷グループ今後の試み
株式会社久保アグリファームに「ジェラート工房」を設置し、
受け入れ体制の強化(小動物とのふれあいコーナー、かけっこ広場、散策道)を行います。
※写真提供 (株)久保アグリファーム



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